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崇鹂游客图源:庆应义塾大学
简介:
子部,释家类。唐,释智广著悉昙文献,为翻译梵文的所用。
东汉南北朝,佛教进入中国的早期,所传经典为梵文写就,故有鸠摩罗什、道安、真谛等中外翻译人员作汉译,至唐代又有玄奘、不空继续搬运汉化。相关翻译学问,后人或称作“悉昙之学”。
经唐代对巨量佛典的汉化,唐以后佛教经典,从外来原本变为汉化版本,从外来开源变成中国改编,国家封闭,人才充足,过去服务于梵文翻译之著作大多没落。明代有古琴曲《释谈章》传说就是梵文字母的唱曲。
版本:
《悉昙字记》即日本流传的,唐代汉梵翻译手册。罗振玉旧影印《悉昙三书》之一。
但罗振玉当年见到的版本都极古,是日本某某私藏,在两宋之间,查找了一番当年罗振玉看到的卷子都不清楚在哪里了。
本来理应直接分享罗振玉的影件,就是最善版本,但我目前并没有电子版,影本内容是从孔网读店家的展示图大概知道的。
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在庆应义塾大学,有一个《悉昙字记》刻本,记为“正平七年二月十五日”(1352年,元代)为次于罗振玉影印古抄本的善本。
而且是后世多个刻本的祖本。
传说是高野山传承的古本(高野山,即指代空海和尚,日本人所谓高野山的传承物确实常见好书,但对其真实性本人表示怀疑),最早为安达泰盛(1231-1285)刻出(未见此本),此后在正本时期刻出(元末,即此),此后在室町江户时代都有翻刻本(明清)
日本国会图书馆藏,日本文安四年翻刻本(明中期,正统十二年)的介绍:
悉曇字記1巻 唐釈智廣撰 文安4年(1447)刊(紀州 根来寺往生院) 粘葉装 1帖 「しったん・じ・き」と読む。古代インドサンスクリット語(梵字)の文字を解説する参考書。平安時代初期に釈空海(774-835)がもたらし、弘安3年(1280)に安達泰盛(1231-1285)が高野山で開板した。以後、本書の高野版は、中世期にあっては室町時代まで版を重ね、江戸時代末まで及んでいる。水原堯榮『高野板之研究』(1932年)によれば、その後正平7年(1352)、享徳3年(1454)、嘉永3年(1850)の版を挙げるが、それぞれの版の覆刻本も知られている。本版は、覺鑁(かくばん)上人を奉じて高野山から分かれた根来山(ねごろさん)往生院で開板されたものである。印面から察して後印であるが、末尾に文安4年快賢の刊記があり根来版といわれている。水原堯榮「根来板」(『書誌学』 1(6) 1933年)を参照。また、『国立国会図書館月報』617号(2012年8月)によれば、川瀬一馬「安田文庫古板書目(十二)」(『書誌学』3(5) 1934年)に本書を載せることから、安田文庫旧蔵本であることがわかる。後補褐色刷毛目表紙(縦24.7横15.8cm)に背は絹布で保護する。元の本文共紙表紙には「悉曇字記 圓政 花押/吉祥院」と墨書する。また、栗皮表紙も使われていた痕跡がある。装訂は、糸を使わず、各丁の折り目の背を糊付けする古い様式(粘葉装 でっちょうそう)。版式は、無辺無界、毎半葉7行毎行13字、字面高さ縦19.8横12.0cm。墨付き28丁、両面刷り。末尾の刊記は「文安四年丁卯十一月日 願主快寶/於紀州根来寺往生院開之」。書き入れは、朱のヲコト点・声濁点・合点、墨の返点・送仮名・縦点・附訓があり、一筆と思われる。尾題の後に、以下朱の識語が書写される、「勢州朝明之郡山村寺西行院而朱墨點寫之 主理鏡(梵字)」。(高橋智)(2023.2)
机翻:
悉昙字记1卷。唐释智广撰。文安4年(1447)刊(纪州根来寺往生院)。粘叶装1帖读作「しったん・じ・き」。解说古代印度梵语文字的参考书。
平安时代初期释空海(774-835)带来,弘安3年(1280)安达泰盛(1231-1285)在高野山开板。此后,本书的高野版在中世纪时期一直延续到室町时代,一直延续到江户时代末。
根据水原尧荣的《高野板之研究》(1932年),之后列举了正平7年(1352年)、享德3年(1454年)、嘉永3年(1850年)的版本,各自的版本的复刻本也广为人知。本版是在根来山往生院开板的,根来山供奉着觉鑁上人,从高野山分开。从印面上看是后印,但末尾有文安4年快贤的刊记,被称为根来版。
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罗振玉记载的古抄本,排前,庆应义塾正平本次之,日本国会的文安四年本,勉强算早再次之,此后的一大堆翻刻更不必寻找下载了
3364926游客感谢先生
大宋梓州一布衣游客感谢先生。
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